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 ミシェルは生い茂った草を掻き分けながら、後から続く蒼昊とマルバスを見遣った。
彼らもこの樹海に苦戦しているらしくて、額の汗を拭いながらミシェル達の後に続いている。
ミシェルは次に、前を行くレイジェンの背中を見た。
彼は落ち着き無い様子で後ろを気にせずにさっさと歩いていってしまっている。
魔物に襲われる心配が無いとは言え、其の様子だと何かに気躓いて転びでもしないか、とミシェルが思った矢先彼は派手な音を立ててうつ伏せに地に落ちた。
「レイ?!」
 三人が三人レイジェンに駆け寄って大丈夫かと無事を確認する。
彼は酷く脅えたような表情を浮かべたまま、言われる事にこくこくと頷いて返した。
「大丈夫ッすか、レイ?」
 頷く。
「良かった、少し顔に土がついただけだ。」
 頷く。
「俺の事愛してる?」



 殴られた。


   その向こうに在る灯火
       4:心鬼の誓い、心放の儀式


 腫れた頬を擦りながら、ミシェルはレイジェンの真っ青な顔をそっと見つめた。
取り敢えず一旦休憩を取ろうと開けた場所を作り、思い思いの体制で寛いでいるのだが、レイジェンはまったく心鎮まる様子もなくてそわそわとしている。声を掛けてやりたいのは山々なのだが、先ほどのおふざけのお陰でミシェルは今上手く喋れない状況。
喋れる事は喋れるのだが、如何せんくぐもった声になるので聞き取り辛いだろう。そんな状況で何を言ったって、只滑稽で最悪馬鹿にしているのかと怒られる気がしてならない。
 彼が今、半分追い詰められた状態だという事は熟知しているのに、何も出来ないなんて。
情けなくていっそ哂いたくなるのを押さえて、其れでもミシェルはレイジェンを気にかける。なにか有れば、直ぐに出来るように。
 しかし素直になれなくて、何とはなしにマルバスと蒼昊の方を見ると、マルバスが蒼昊と共に地図をもう一度確認している所だった。『いっち』の配慮なのか此処は安全地帯で魔物が出現しないが、代わりに複雑な地形になっている。レイジェンに昔此処を通った事を、悪いと思いつつも聞けば彼は転げ落ちるようにして一直線に突っ切ったという。
道なき道を、しかも樹海を良くもそんなノリで突っ切ったなぁと苦笑して、それに同じく苦笑いで答えた彼はきっと必死だっただろうことは皆判っている。
だから改めて、必死になって道を作っているのだ。地図に記載されていた道すら今は埋れ、完全にヒトの往来がない事を示していたソコを、レイジェンの故郷として。
「あー、大体は道筋どおりって感じッスね。ちょこちょこ柵が立ってるし…。」
「そうか…、だがこのルートで行くと少し遠回りじゃないか?」
「ん、何でも狐狸が出るんだとかで、閉鎖されてるンスよ。」
 其れを聞いて、蒼昊は地図から顔を上げてミシェルを見る。
「俺は狸じゃねぇよ、ア・ラ・イ・グ・マ・だっ!」
 もごもごと叫ぶと、蒼昊は何故か生暖かそうな目で微笑んだ。
畜生覚えてやがれ、貴様なんか常に女に見間違われるじゃないか、と珍しく感情的になって考えていると、それを読み取ったのか彼は矢張り生暖かく馬鹿にした目で手近にあった石を引っつかむ動作をしたので、慌てて立ち上がり近くの木の後ろへ逃げ込もうとしたが、投げたのはマルバスだったのか、逃げ切る前に寸分違わずミシェルの後頭部に直撃し、悶絶しながらその場に倒れ込む事になった。
 今日は、厄日の様子。

 それから更に一時間弱、四人は樹海に道を作りながら小さな村を目指して歩き続けた。途中何度か休憩したとはいえ、道作りなどという慣れない作業の為に彼らは疲弊し、道中交わす言葉も少なくなっていく。
特にレイジェンは目的地が近付くほどに少ない表情が更に無くなっていき、同じく他人と会話する事の殆ど無い唇は、何時も以上にぎゅっと噛み締められ、誰が見ても苦痛そうにしていた。何度か他の三人が話しかけても、彼は頷くか一言返事をするだけで会話を切り、それを緩和させる事が出来ないでいた。特にミシェルが事ある毎に話しかけて彼の気を紛らわそうとしたが、最終的には一瞥されるだけになってしまった。
自然と、聞こえる声はマルバスと蒼昊のものだけになり、ミシェルも諦めたように、歩の進みが遅くなって、最悪置いていかれそうになるレイジェンの握り締めた拳を引っ張るだけになった。
 握り拳を解いて、お互いに手を繋ぐ事が出来ればなぁ、とミシェルは最後の抵抗とばかりに呟いたが、レイジェンは最早反応すら返しはしなかった。だが、それは予想の範疇であった為、ミシェルもさほど気には留めなかった。
「お、今屋根が見えたッス!」
 嬉々として発せられたマルバスの言葉に、全員が反応する。其のうちのマルバスを含めた三人は嬉しそうに、其のうちの一人は脅えたように。
 樹海を抜けてそれなりに舗装された大地に立つと、マルバスと蒼昊は思わずといった様子で安堵の溜息を零し笑いあった。無理もない。長い間ジメジメとして先の見えない木々に埋れていたのだから、思わずとも陰鬱とした心持ちになるだろう。
しかし、其の中でレイジェンだけは相変わらず、否、今までで一番辛そうな面持ちで立ち尽くしていた。この向こうに広がる屋根の赤が酷く彼の心を掻き乱して、其処で太陽を反射するガラスの光が総て彼を非難しているように感じていた。
 ――何故、戻ってきたのかと。何故、契りを破ったのだと。
そのまま立つのさえ困難に思えて、レイジェンは今までずっと掴まれていたミシェルの手を、此処で初めて握り返した。驚いたように振り向いた彼に自嘲的な笑みを浮かべてレイジェンは、ふらりと後ろに倒れこんだ。
「レイ!」
 つもりだったが、ミシェルに強く手を引かれ抱きとめられた。ミシェルの声に驚いたように、二人も此方を見たのが眼の端に映った気がしたが、それよりも今時分が此処に居ると言う恐ろしさを伝えたくて精一杯だった。
「だ、め…なんだ。此処は、俺が居て…良い場所、じゃ、…ない。」
「何馬鹿な事を言って…。そんなの、誰が決める事でもないだろ?」
 首を、横に振った。
いっその事此処で舌を噛み切ってしまいたくなるが、此処まで付いて来てくれた彼らに申し訳が無くて出来ずにいる。
矢張り、スライがたきつけた言葉を信じて此処にくるべきではなかった。後で何と言われようとも、此処にだけは。
 その時、レイジェンの気持ちとは裏腹に、全員の背後となっていた村の方角から声が降りかかった。
「誰か、居るの…?」
 その声に、レイジェンを除く全員が大きく振り返る。
其処には明らかに民族衣装だと判る服を着て、暖炉にでもくべるのだろうか、薪を抱えた少女が立っていた。さらりと薄水色の髪を掻き揚げて、少女は不思議そうにこの四人を見つめていた。
暫く無言で居たが、しかし危険はないと感じたのか、マルバスが人懐こそうににっこりと笑いながら、たまたま用事でこの村に立ち寄ったのだと、その少女に説明した。
「で、連れの一人が気分が悪くなったんで、何処か泊まれる所探してるンスけど…案内頼めないッスかね?」
「んー、フェーレーンのじっちゃの家なら、ヒト泊めれそうだけど…ちょっと訊いて来るよ!」
 きっと、彼女が生まれてから初めての訪問者だったのだろう、好奇心をそのまま顔に貼り付けて、疑う事も無く少女は駆けて行った。
ほっとした様子で二人が息を吐くのとは別に、フェーレーンという単語に聞き覚えのあるミシェルは少々困ったようにレイジェンを見遣り、そのレイジェンは今直ぐにでも逃げ出したいと、そんな眼でミシェルを見返した。
 足が速いのか、少女が直ぐに戻ってきた。其の表情は矢張り好奇心で溢れ、眼はきらきらと光り輝いている。
じっちゃが良いって言ったよ、と大きな声で呼びかけ、着いて来る様に促したが、ミシェルはレイジェンの事を気遣い、二人に先に行くよう頼み、三人の足音が聞こえなくなるまで押し黙っていた。
 さわさわと木々が風で揺れる音だけを聞きながら、ミシェルはゆっくりとレイジェンの手を握り締める。逡巡した後に彼も握り返して、ぽつりと言葉を漏らした。
「もう、引き返せないな…。」
「…そうだな。」
「……お爺さんの、家に、泊まるの…嫌だな。」
「怖いか?」
 無言で頷く彼は、此処に来て一瞬にして子供になったような印象を受ける。酷く脅える余り、レイジェンは此処で生きていた時の自身を貼り付ける事でソレを緩和しようとしているのだろうか。
もう一度、俺がついている、と言う意味合いを込めて、ミシェルはレイジェンの手を握り締めた。それだけでは足りない気がして、両手で包み込む。
少々潤んだレイジェンのルビーが、其処で弾けた様にミシェルの茶色を覗き込んで、ゆっくりと大きな胸に額を押し付けた。
片手を頭へ移動させて、きつく縛られたバンダナの上から優しく撫でる。彼の肩は震え始めたが、泣く素振りは見せなかった。
 暫くはそのまま黙り込んだままだったが、決心したようにそっとミシェルから離れて、ルビーの端に溜った真珠を拭った後に彼は柔く微笑んだ。
少しだけ頬が赤いのに、こんな状況だと言うのにどきりとしてしまった。彼の笑顔には憂いも含まれていたが、寧ろその陰を落としているのが妖艶で、何時もストイックな彼のイメージとかけ離れていた訳で。
思わず出かけた言葉を、しかしミシェルは飲み込んだ。
「格好つかないもんな、こんな時に言ったって。」
「…?如何したんだ?」
「いーや。」
 笑って誤魔化して、ミシェルはこれから如何すべきだろうかと、意地悪く問いかけた。


 フェーレーンは酷く困惑していた。
予想していた事ではあった。そして、其の予想は半分ほど当たっていたが、もう半分は外れていた訳である。
「まさか、他人を友人と呼べるだけの精神が残っていたとはな…。」
 正直な事を言えば、彼は最早他人など信じる事が出来ないだろうと思いこんでいた。
追い詰めたのはこの村の住人だと言う事も熟知している。だが、それ以外に方法も無かった事も事実であり、フェーレーンは今の今まで彼に対して行ってきた愚考の数々を、愚考ではあるが、間違いであったなどと思ってはいない。同時に、これから先思う事も無いだろう。
 この小さな、閉鎖された空間で、フェーレーンは周りを気にせずに暮らす事など出来はしなかった。
この村以外の、他の場所へと赴けるほど彼は若くは無かったし、長年住んだこの地を離れるなどと言う考えも起こりはしなかった。
しかし、一度この場所に、此処の人間総てに嫌われでもすれば、年老いたこの男は生きる事が出来ないほどに周りに助けられていた。この老人は、数少ない弾薬で仕留めた獣を捌き、肉を食い皮を売り、その金でまた弾薬を買う、と言う生活をしていて、それには皮を買う他人が居なければ成り立たない生活だった訳である。
この村の人間が全員結託してフェーレーンに金を払う事が無ければ、間違いなく二人ともが死を迎えなければならない。
言えば、彼も被害者であるかもしれなかった。
「レイシェンドリン…せめてお前だけならば、私は私で在れたかも知れぬが…。」

 だが皮肉な事に、彼は今、幸せそうに微笑んでいた。



 意を決して村の中に足を踏み込めば、想像以上に果てた大地が広がっていた。
此処を出る前も寂れてはいたが、しかし此処までは酷くなかったのに、と思わずには居られない。
知らずミシェルの手を握りながら、レイジェンはそろそろと辺りを窺いつつ慎重に歩を進めた。少しでもヒトの気配があれば、間違いなく彼は其の後ろ手に広がる木々の間を駆けて逃げただろうが、幸いにも其の心配もなく幼少期を過ごした、懐かしく恐ろしい家に戻ってきた。
今見上げても大きなその家は、その威圧感がフェーレーンのそれを思い出させた。
恐ろしく、けれどもほんの少し暖かい気持ちが今レイジェンの中を駆け抜けて行く。常に顔色を窺っていた相手だったが、不思議と嫌悪を抱く事はなかったと今になって思い出した。
「…入るか?」
 ミシェルの問いに頷いて、けれども少しでも誰かを感じていたくて、今度は手ではなく服の裾を少し掴みながら、レイジェンは重いドアを押した。
ドアの蝶番がきりきりと訪問者を知らせ、その音に反応して、リビングだったと記憶している場所から二人、玄関に向かう人間を見、レイジェンはぎゅっと掴んでいた裾を今度は握り締める。
先ほどの少女と、年老いても腰の曲がった様子の無い男が、片方は音を立てて、片方は音も無く、レイジェンとミシェルに近付く。
「レイシェン…」
「兄ちゃん、あの時の兄ちゃんだったんだね!私今まで気付かなくて御免ね!」
 フェーレーンを遮り、少女が嬉しそうに微笑んでレイジェンの服を掴んでいない手を、ぎゅっと握った。
予想外の事に、レイジェンはらしくもなく眼を白黒させて動きを止めた。するりと先ほど握っていた服を放している事からも、ショックで一時的とは言え頭が真っ白になっているだろう事を予測して、ミシェルはとんとんとレイジェンの肩を叩いた。
途端に肩を一瞬震わせて現実に帰った彼は、暫く眼を何も無い場所に泳がせた後に、小さく、彼女の名前を呟いた。
「フ、エン、ダ…?」
「そ!私ね、ずっと兄ちゃんにお礼言いたかったんだけど、兄ちゃんずっと此処に帰ってこないんだもん、ちょっと心配してたんだからね?」
「いや、俺は…」
「今までずっとね、私、兄ちゃんみたいに強くなるって頑張ってたんだ!きっとまだ兄ちゃんみたいに敵と戦えないかもしれないけど、ここいらの男よりも私のほうが今じゃ強いんだよ!」
「あの…」
「絶対に兄ちゃんみたいに強くなって、兄ちゃんに助けられたみたいに私もヒトを助けるんだ!ねえ見ててよ兄ちゃん、私、女だからって只糸を紡ぐだけじゃないんだからね!」
「フエンダ。」
 機関銃を思わせるフエンダの言葉を終わらせたのは、フェーレーンだった。
喋りすぎた事に気付いたフエンダは年相応の可愛らしい反応で、ごめん、とフェーレーンとレイジェンに謝った。
「何故帰って来る気になったのだ、レイシェンドリン…。お前は賢いと思っていた私の記憶は、既に年に勝てなくなっていると言う事か?」
 棘のある物言いに、レイジェンではなくミシェルが反応した。余りにも酷い言い草だと口を開きかけたが、レイジェンがそれを押さえた。
だが、其れ以上に押し留めなければいけない人物が此処に居た――フエンダは自身の中で大きな影響を受けていた『兄ちゃん』が貶された事に、酷く怒った訳だ。
「じっちゃ、何言ってんのさ!兄ちゃんがやっと帰ってきてくれたのにその言い方は無いじゃない!」
 物怖じしない彼女は、そう言ってレイジェンの目の前でフェーレーンの二の腕を叩いた。
今まで逆らえなかった人間に、自分とは違うとは言え、手を上げられたショックで、再びレイジェンは硬直した。
フェーレーンは少々痛そうに腕を擦りながら、フエンダの純粋な反応に苦い顔を浮かべながら、流石に玄関で口論を続けるには体力も無い事、それに先客二人も居る事を告げて、二人にリビングに行く様に促した。
 怒ったままレイジェンの腕を掴みリビングに向かうフエンダと、目の前で起こった事を今だ上手く理解出来ないまま引っ張られるレイジェン、そのレイジェンを気遣うようについて行くミシェルを眼で追って、フェーレーンはまた酷く幸せな気持ちになった。


「レイラメイア…嗚呼、お前の息子は恵まれた。」


 けれど、彼自身は自分を見せる事が出来ないで居る。






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