その向こうに在る灯火
1:切欠を作るのは
切欠を作ったのは、矢張り罪悪感があったからだ。
何よりも、是は自身とそのマスターによって引き起こされた問題でもあるような気がしていたから。
スライは、先程言った事を理解出来ていないらしいレイジェンに、もう一度、同じ事を言った。
切欠。其れは大切なもの。
「アンタ、里帰りして『ユダスの竪琴』取って来なさい。」
確かに其れは彼にとってみれば迷惑の何者でもないのだろうけれど。
でも、区切りをつけるには十分すぎる時を経ている訳で。
「言い訳は許さない。赦されに行って来なさい。」
どれ程の罪悪感を抱いて、今この言葉を言ったのだろうか。スライはそんな自身を嘲笑し、又、止められなかった自身に対して少し悲しんだ。
そして、是はある意味での罪滅ぼしなのだろう。自身に出来る最大限の。
見開いた彼の眼には、絶望がありありと浮かんでいた。
意味ある死を宣告されたのと同じ気持ちだった。レイジェンは戸惑いと絶望と、少しの希望が複雑に身体の中を渦巻いているのを感じた。
是はクエストだ。其れを理由になら、帰れるかもしれない。
けれども、其れは裏切りと同等だ。アノヒト達はレイジェンを裏切ったが、レイジェンはアノヒト達を裏切るのに抵抗を感じていた。
アノヒト達の期待に沿うように、今の今までレイジェンはあそこの事をけして知ろうとしなかった。極力関わろうとしなかった。
そうする事で傷に覆いをして、辛いあの時の記憶を封印してきた。其れを今、今更、破り捨てると言うのか。
「ス、ライ…、お前は知ってるんだろう…?俺が…。」
「さっきも言ったわ。私は言い訳を許さない。さあ、早く赦されに行ってらっしゃい。」
それに、と彼女は付け加える。
それに、アンタはもう独りじゃないし、何よりあそこはもう村として機能していない、と。
衝撃を受けた。何故なら、自分は其れを食い止めるべく自らあの村を去ったのだから。そうすれば、村は以前の活気を取り戻すと、そう言われたのだから。
じゃあ、其れは間違っていたのか。それとも自身に何かしらの不備でもあったのか。あそこに残してきたものは、自身に対する憎悪だけだったのに。
其れすらも、レイジェンが村を出る事で解消されると皆が言っていたのに。
じゃあ、一体なんで。俺は、まだアノヒト達に罪を償わなければいけないのか。是以上、何をしたらいいのだろう。
判らない。
ぐるぐると回る。思考が回る。黙り込んだレイジェンの背中をぱん、と叩いて、スライは至極真面目な顔をして促した。
「アンタが悪いわけじゃないわ。是はこっちの問題でもあるのよ。…さあ、今度こそ行って来なさい。」
けれどもその瞬間、酷く泣きたい気持ちになった。
簡易住居の中で、レイジェンはベッドに寝転がりながら、スレバリアに居た時の事を思い出そうとしていた。
その途端に起こる吐き気。頭がぐらりとして、直ぐに思い出す事を止めた。
封印してしまっていた記憶を再び開放するのは、困難な事らしかった。其れは其処までの道順に関しても同じで、それに関するものは総て曖昧にぼやけている上に直ぐに気分が悪くなった。その上涙まで出始めたらしく、視界が妙にぼやけて仕方が無い。
是ほどまでに、あの記憶は忌まわしいものとして厳重に封印されていたのかと思うと、何故か笑いが込み上げてきた。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。何処まで俺は無力で愚かなんだろう。
「いっその事、俺が死んでいれば良かったのかな…。」
「なーんかスッゲー不吉な事言ったかお前。」
飛び起きるようにして、レイジェンは扉の方を見た。其処には予想したとおりミシェルが立っていて、ゆるゆると揺れながら力無げに苦笑していた。
まるで哀れんでいるようだと、レイジェンは思った。何時もの彼らしい笑顔ではない。
そう思っているのを感じ取ったのか、ミシェルはお前が泣いてるからだぜ?と理由を説明する。そう言えば未だに視界がぼやけているのはその所為かと、改めてレイジェンは理解した。
ミシェルはつかつかとベッドに近づき、腰を下ろした。レイジェンは暫く考えた後、何となくその隣に腰掛けた。
今は何故か、誰でも良いから隣に居て欲しい気分だった。
手を伸ばせば届きそうな場所に。
「まぁ、アレだ。スライさんから何故か連絡があってだな、デート終わらして来た訳なんだが。」
「…今回は何人と遊んでたんだ…。」
「ん〜、15人ほど?」
「女泣かせが。」
そんな会話の方が、今は落ち着けた。暫く他愛も無い会話を続ける。
ゆっくりと時間が流れた。窓の外は段々と黒くなっていき、代わりに星が静かに輝き始める。
遠慮がちな星の光をふと見て、レイジェンは既視感を覚えた。
その時、頭が割れそうなほどの頭痛を感じた。まるで警告するように、総ての機関が異常を教えるように、何かを掻き鳴らしていく。
「…っ、ぐ、ぁ…っ!」
頭を抱え込んだ。きつく抑える事で、少しでも緩和しようとするが、結果は判る通り。
ミシェルは、そんなレイジェンを抱きしめた。背中に手を回して、頭を優しく撫でる。彼の右頬に、レイジェンの左頬が当たった。
まるで頬擦りするように顔を動かし、ミシェルはゆっくりとレイジェンを包むように抱きしめる。母親が子供にするように。
すがるように、レイジェンはミシェルの上着を握り締めた。其れは何か恐ろしい気配から逃れようと必死になっている様にも感じられた。
「レイ、レイ、大丈夫だ、俺は此処に居るから、逃げはしないから。」
優しく、説く様に、ミシェルはレイジェンに語りかける。
其れに対して、レイジェンは何かを呟いた。ミシェルの耳は、其れを聞き逃さなかった。
「嘘吐き…俺を、置いて行くくせに。皆そうなんだ…。」
空を見上げて、レイジェンは奇妙な感覚に眩暈を覚えた。
何かがキラキラと瞬いていて、まるで総てに物語があるような錯覚に陥ったからだ。そんなにも沢山の物語など、自身は覚えられないのに。
「フェーレーンのお爺さん、アレは何なんですか?総てが何か言葉を発しているように思います。」
フェーレーンはそんなレイジェンの問いに苦笑しつつ、アレは星と言うのだ、と話し始めた。
「レイシェンドリン、星はな、この世の総てを見てきた語り部なのだよ。だから、お前さんが感じたように、総てが言葉を話しておる。それに耳を傾けても、決して聴こえはせんだろうが、見てみると良い。そうしたら、何となくだろうが、何か話しているのが判るだろう?」
「あ、そうか!」
レイジェンはにっこりと微笑んで、先程思いついた事をそのままフェーレーンに聞かせた。
「お爺さん、何で聴こえないのか、俺…僕、判りましたっ!星は沢山居るから、皆がみんなのお話を殺してしまっているんですよ!まるで僕に石を投げながら皆が笑うのと同じなんです!」
其れに対しての、フェーレーンの反応は薄く、また苦笑を顔に貼り付けたままだった。
怒らせた、とレイジェンは直感的に思った。彼がこんな反応を示すのは、大概如何したら自分を判りやすく窘めれるか考えてるのだと理解していたので、直ぐに頭を下げて宛がわれている部屋に逃げ込んだ。
其れを眺めるフェーレーンの顔が、何とも言えない顔をしているのを薄々感じつつ。
ドアを閉めると、レイジェンは怖くて泣きそうになった。若しかしたら今度こそ追い出されるかもしれないと思うと、非常に恐ろしかった。
また、壊れたあの家で、モンスターに脅えて暮らさなくてはいけなくなるのだろうか。モンスターに見つかったら、同じ年齢の子供達がやるようなチャンバラなどさえした事の無いレイジェンは、多分抵抗すらする事も出来ずに食べられてしまうだろう。
そうなってしまうのが恐ろしい。
馬鹿な事を言ったと思った。さっきの事さえ言わなければ、まだもう少し此処で暮らせたかも知れないのに。
まだ出て行かなければいけないと決まった訳ではないが、でも、こうなってしまっては時間の問題だと、そう思った。
彼は自分を嫌っている。この村の中で、忌み子として生まれてしまった自身を好いてくれる人間など、居ない。
只、子供だから可哀想だとか少し血が繋がっているとか、そんな理由でここに置いて貰ってるのだ。
イイコにしていなければ、彼は必ず自分を追い出すだろう。そうして、今までの暮らしを面白おかしく語るのだ。そうに決まってる。
現に、過去に三度彼はレイジェンの言動の事を村の皆に話して聞かせていた。皆は笑っていて、フェーレーンもニコニコとして、莫迦な子だ、と言っていたのを、鮮明に思い出せる。
莫迦な子でも、イイコにしていれば置いておいてくれるだろうかと、その日以来レイジェンはなるべく本で読んだケイゴと言うのを使用して、必死にイイコを演じようとしていた。
結果的にまた彼に笑い話を提供してしまった訳だけれども、それでも、レイジェンは気にしなかった。
生きる為の、必死の抵抗のようなものだったから。
「誰か、俺に生きる為の力をくれたらな…。そうしたら、みんなの希望通りに、此処を出て行けるのに。」
呟いても、星が瞬くだけで、何も起きなかった。
右手に練り上げたマナを乗せて、レイジェンは懇親の一撃を繰り出した。
ぱぁん、と綺麗に割れた丸太を見て、内心ほっとした。どうやら本の通りに出来たらしい。
額の汗を拭って、レイジェンはその場に座り込んだ。漸く、形に成りつつある武術に、少し満足しながら。
古い武術書を見つけたのは一ヶ月前で、四苦八苦しながら隠れて今まで練習していた。
此処を出て行く、と考えていたのは昔からで、其れは今も変わりは無い。寧ろ、切実に願うようになっていた。
息苦しい。何もかもが。自分が居るだけで空気が音を立てて刺さる様になるのには慣れているが、けれども矢張り、限界が有った。
何よりも、フェーレーンの態度が日に日に増して冷たくなっていくのが、耐えれなかった。
レイジェンにとって、彼は紛れも無い親代わりだったのだし、彼が居たからこそ今の今まで生きていられるのだ。
何か、恩返しがしたいが、其れはつまり自分が出て行くことが何よりのプレゼントなのだと言うのに気付いているわけで。
それに金銭を持ち合わせていない自分は、物を買って渡すと言う事も出来ない訳なのだから。
生まれつきか、腕力はあった。何の因果かは知らないが、身長に比べて体重は人並み以下ではあるが、大した事の無い敵ならば、何とか倒せるようになって来た。
其れは嬉しい事だった。早く、村の皆に平穏を上げられる。
其れだけが、嬉しい事だった。
流石に疲れたので、一旦フェーレーンの家に戻る事にした。一休みしてから、新しい形を決めようと思った。
叫び声が上がったのは、彼が腰を上げたその時だ。
村の中心から、獰猛な肉食系の動物の声がした。瞬時に何かを理解する。モンスターが空腹の余りに人里に下りてきたのだ。
村の中心に向かう。どうか、誰も怪我などしていませんように。
そんな事など無いと知りつつも。そう願わずにはいられなかった。この村には、戦える者など居ないのだから。
村の中心部から、ヒトが逃げていく。家の中に入って鍵を掛けていくヒト達の出す音で、閑散としている筈なのに酷く煩く感じられた。
レイジェンは走りながら、広場――獣の方を見る。一匹だけ、口元を血で濡らしたワインドウルフが其処に立っていた。
相手の目は居座っている。死ぬ気で此処まで来たらしい。其れほどまでに山には食べるものが無いのか。
それとも、旅人が退治し始めたからか?
旅人の残飯を漁り、食料を得るのがワインドウルフの主だった特徴だ。だからこそしぶとく今まで生き続けているのだ。また、それ故にニンゲンの恐ろしさは理解している筈なのだが、どうやら最近はその旅人に追い込まれているらしく、よく人里に下りてくると誰かが言っていた。
だから余計に狩られて、数が少なくなっている。仲間思いである事が良く知られている獣だから、若しかしたら復讐なんて旗を掲げて此処まで来たのかもしれない。
彼らの頭が、其処まで発達しているかどうかは知らないが。
広場に、レイジェンとワインドウルフが立つ。お互いに相手を見極めるように、睨み合った。
先に動いたのは、ワインドウルフだった。
一気に間合いを詰めて、ワインドウルフはレイジェンの右肩に喰らい付こうとした。其れを横に飛び退く形で、避ける。
しかしウルフは着地せず、そのまま地面を蹴って再びレイジェンの、今度は首へと狙いを定めて、その牙を再び外気に曝した。
レイジェンは横に引いた。そのまま飛び込んできたウルフの後頭部に手刀を繰り出し、勢いに任せて地面へと叩きつける。
「ぎゃんっ!!」
ワインドウルフが鳴いた。しかし直ぐに飛び起きて、今度は距離を保とうとする。再び、お互いを睨み合う。
その時だ。ガタン、と背後で音がした。レイジェンは思わず後ろを振り返った。勿論、ワインドウルフはその隙を逃さず、レイジェンではなく、直ぐに殺せそうなその音の主へと走って行く。
音の主は――まだ七歳になったばかりのフエンダは、大きな獣の牙が真っ直ぐに自分に向かって来るのを認識し、大きな叫び声を上げて、眼を瞑った。脳裏で、自分があの牙にズタズタにされる姿を想像する。
だが、直ぐに痛みは訪れなかった。かわりに、何か生暖かい雨が降ってきたのを、肌に感じた。
恐る恐る眼を開ける。其処にあったのは想像していた狼の牙ではなく、ヒトの肌。ゆっくりと視線を上げると、忌み子、と、日々常々母が言っていた少年の顔が、あった。
痛そうに顔を顰めながら、レイジェンは大丈夫か、とフエンダに訊いた。よく見れば、左の肩から赤い何かが吹き出ている。
大丈夫か、と訊いた人間の方が酷そうなんて、何て可笑しいんだろうか、とフエンダは何となく思ったが、一応、大丈夫、と答えておく。
一体何が起きたのか、想像すら付かなかった。そうか、と彼は答えて、フエンダに、此処に隠れていろ、とだけ言って、直ぐに狼の方を向いた。
その時、初めて彼が傷を追っている事に気付いた。服は引き裂かれていて、背中が露になっている。その背中の左側だけに、まるで翼を表したかのような模様があるのにも気付いて、フエンダは思わず訊いてしまった。
「お兄ちゃん、何で背中に絵が描いてあるの?」
「その話は後だ。」
それだけ言って、レイジェンは再び狼の方を向いた。
刹那、爆裂音と共にワインドウルフは横に吹っ飛んだ。
火薬の臭いがした。慌てて音の方を向くと、フェーレーンが狩猟銃を持って立っているのを見つけた。
そう言えば、彼は昔猟師だったと言う事を、今になってレイジェンは思い出した。
ワインドウルフは頭を打ち抜かれ、不自然に動いていたが、直ぐに事切れた。
フェーレーンはウルフとレイジェンを交互に見ながら、近付いてくる。レイジェンは彼の周りにうごめく雰囲気が、何時も以上に刺さるものであると気付き、思わず顔を青くした。今度こそ、追い出されてしまうのか。
「馬鹿者が……己の力を過信しすぎたな。」
そう、フェーレーンはウルフに向かって呟いた。其れは同時に自分にも言われているような気がしたので、レイジェンは下を向いて押し黙った。
フエンダだけが、今の空気を理解出来ずに凄い凄いと騒いでいる。
その声に気付いたのか、だんだんと、家の中に隠れていた人間が、外に出てきた。
フエンダの母親も今更ながらに息子が居ない事に気が付いて、慌てて彼を抱えに行く。しかしフエンダは未だ先程の興奮が収まらず、母親を押しのけてレイジェンのほうへ歩み寄った。
「フェーレーンの爺ちゃんも凄いけど、お兄ちゃんも凄いや!ねぇ、さっき言ってたの、今度こそ教えてよ!」
その途端に、周りに居た人間すら、フェーレーンと同等の、否、其れ以上の空気を纏いだした。
レイジェンは恐ろしくて下を向いたままだった。ねえ、とせがむフエンダも、流石にこの空気に気が付いたのか、慌てて母親の元に駆け寄った。
「レイシェンドリン、お前は何故、此処に出向いた?」
低い声で、フェーレーンはレイジェンに問う。びくりと身体を震わせて、レイジェンは育ての親の顔を見た。
ありありと、怒りが浮かんでいた。思わず上ずった悲鳴を出しそうになって、慌てて唾を飲み込んだ。
「それ、は…。」
「コイツがワインドウルフを呼んだのよ!」
まるで汚らわしい死体でも見るかのような眼をして、誰かが叫んだ。
すると、皆が皆、同じ事を繰り返し叫び始めた。
「だから言ったんだ、コイツはさっさと山にでも放り出してしまえと!」
「嫌だわ、本当に!どうせならさっきので死んでしまえば良かったのに!」
「そうだよ!その証拠に、背中に訳の判らない紋様まで入れてやがるぞ!」
「悪魔だ!コイツは悪魔なんだ!!」
「殺せ!」
「殺すんだ!!」
皆一様に、殺せと叫びだした。フエンダは驚いて、母親に彼が自分を助けた事を説いたが、聞き入れて貰えなかった。
石が飛んだ。ばらばらと石が飛んだ。
小石たちはレイジェンの足元に落ちて、ころころと辺りを石だらけにしていく。
レイジェンは俯いたまま、何も言わなかった。こうなってしまったら、何を言っても火に油を注ぐだけだと知っていたから。
「黙れッ!」
フェーレーンが叫んだ。予想していなかった事だったので、皆一瞬の内に黙ってしまった。
フェーレーンは怒りを露にした表情のままで、レイジェンに、今度は別の事を訊いた。
「お前はこの先、如何する気だ?」
其れは、村の住人が尤も気になる事でもあった。誰も口を挟まない。その場は完全に静まり返り、誰もがレイジェンの返答を待った。
「僕…俺は。」
言わなければいけない言葉を、レイジェンは理解していた。
「俺は、此処を出て行く気です、フェーレーンお爺さん。」
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