静かな闇が、辺りを支配していた。
純粋な黒が、目の前に広がる。
そして、その最も奥に控える、この城内で最強を冠する吸血鬼の目が、赤く紅く闇月に光る。
「何だかんだと言いつつ、此処まで、来てしまった…んですね、僕は。」
呟いて、折れた右角を軽く撫でた。この仕草をする時は、緊張を和らげようとする時。
まず、両手で持った剣を構えなおす。紅い目が浮いているのを見ながら、帽子を被りなおした。
周りにヒトは居なくて、一対一で得物を交わすのだろう、とそう思うと、自然に自嘲してしまった。
紅い目が、此方に気付いた。
ゆっくりと長躯が動く。確実に此方に近付いてくるその紅を見ながら、もう一度タイミングを計るように柄を握り締めた。
>>>>> 歪の歯車
ギャァン、と得物同士が擦れ合い、派手な音と火花を散らす。
直ぐにバックステップで間合いを取りながら、片手を一旦拭いてから柄をぎゅっと握り締めた。汗で滑ってすっぽ抜けるだなんて、洒落にもならない。
相手は余裕綽々と言った表情で、焦る事無く間合いを詰めてくる。接近戦はお互い得意とするが、如何せん経験が違いすぎた。
勝ち目が無い、と最初から判ってはいたが、戦ってみて其の差はより一層目立って現れた。
一撃一撃が、身体全体に重く圧し掛かる。既に息は上がり、肩は大きく上下している。
動けば動くほどに体中のあちこちから、鮮血がほとばしる。青かった服が、血を吸ってどす黒く変色してしまうほどに。
「はぁぁ…っ!」
気合を込めて、自らの攻撃精度をもう一度高める。ブルズアイと呼ばれる其の行為は、確実に攻撃を入れる為の、ある種の儀式である。同時に自分の士気を上げ、十分な威力を瞬時に出せるようになるスキル・ブレイブハートも行う。
そして直ぐに、発動時の隙を狙ったように、すらりと優雅に繰り出された左手の攻撃を、瞬時にかわして斬りかかる。
勿論、相手――ブラッドはそれを綺麗にかわしきり、追撃を許さないと言う様に再び左手を振るった。
異形のそれを剣で受けながら、反撃のチャンスを見極めようと一瞬後ろに下がった。
それが、敗因となる。
後ろに下がった所へ、ブラッドが更に追撃してきたのである。急に増えた攻撃に耐え切れず、派手な音を立てつつ剣が手を抜けて遠くへと飛んでしまった。
其の上、其の反動で更に数歩下がった所にあった『何か』を踏んでしまい、一瞬気を取られた時に、喉元に左手の爪が当たった。
「…是は、私の勝ちと判断しても良いのだな?冒険者。」
話しかけられて、思わず唾を飲み込む。ちり、とその動きの所為で、爪の先に喉仏が当たった。
ブラッドの目は、相変わらず紅く自分を捕らえている。元々は拳で戦ってきたとは言え、今の状況ではそれすらも満足に振るえないだろう。
完璧なまでに、反撃の余地は無い。
「そう、ですね…。僕の負けですね、是は。」
素直に認めた。認めざるを得ない事実だったし、問われたからには答えるのが義務だと思ったからだ。
しかしブラッドはそう言った事実に少し目を細めて、ほぅ、と相槌を打つ。まるで、問いかけに返されると思っていなかった、と言うように。
「…此処で倒れたら、其処までなのだぞ?先程から気付いてはいると思うが、此処は冒険者と島主との契約に縛られていない。」
「ええ、薄々は。…ポーションは効かないし、先程僕が踏んでしまった『者』も、一応理解はしているつもりです。」
「…判っていて戦ったのか?後ろの扉から逃げ出せば、再び契約に縛られ、尚且つ…私に殺される事も無かっただろうに。」
「まあ、それも噂で聞いてはいましたがね。普段戦っているモンスターは幻影で、実態は空間を歪めた先に暮らしていると、…そして其処では、『死』が存在すると。」
一拍置いて、けれども、と続ける。
「けれども、正直に言ってそれが本当だと思っていませんでしたし、何より貴方と得物を交わすのが、途中から楽しくなっていましたので…。この命を棄てても、リアルな痛みや剣に圧し掛かる重さを感じたいと思ったんですよ。」
苦笑して言った其の言葉を聞いて、ブラッドは笑い出した。
先程まで戦うために酷使していた腕を抱えて、高く笑う。その光景を見ながら、しかし既に死を覚悟していた彼は、逃げようともせずに見守った。
一頻り笑い終わって、ブラッドは目を細めながら両肩を掴んだ。逃がさない、とでも言うように。
「成る程、面白い事を言う…。名前は?」
その言葉の意味が判らずに、自分よりも背の高いブラッドを見上げた。ブラッドは微笑んでからもう一度、名前を訊く。
「…ロー、です。けれどもう直ぐ死ぬ男の名前なんて、如何して訊くんです?」
「死ぬ気、なのか?逃げようと思わぬのか?」
だって、此処での負けは死を意味するんでしょう?と、ローは然も当たり前に答えた。生に執着していないのかとブラッドは訝しげに見たが、掴んだ肩が少し震えているのに直ぐに気付いた。
けれどもローは毅然として、死を受け入れる気のようだ。
今まで見た事の無いタイプだと、ブラッドは考えた。此処に迷い込んだ冒険者は大概生に執着していたから。
そして、此処まで意思の座った男を、もっと長く見たいとも思った。初めて見る考えが、一体何処まで真実なのか知りたくなったのだ。
きっと、ローは死を覚悟している。ならば、其の裏を掻いて見るのも悪くない。
そう思い、ブラッドは素早い動作でローの左首筋を晒し、其処に牙を立てた。
ローは予想外の行為と痛みに、ビクリと身体を振るわせた。
「あ…ぁ…っ!」
声を出そうとしても、上手く言葉にならずに母音だけが漏れる。思わずブラッドにしがみ付いて、必死に状況を理解しようとした。
その行為から逃げ出す事を、思いつけなかった。ローはずきりと痛む首筋に、ブラッドが牙を立てたのだと今になって理解したが、しかし其処から先を考えられず、段々と身体中に何かが染み渡っていく感覚だけを感じながら、同時に力が入らなくなっていく身体を支えようと、より一層ブラッドに縋った。
そして、ブラッドが口を離した瞬間、身体中に言い知れぬ強烈な痛みを感じ、最早しがみ付いている事も出来ずにその場に倒れこんだ。
身体から火でも出そうな程、熱い。全身を鉤爪で引き裂かれていくような痛みに、身体を抱きこんで耐えようと必死になった。
けれども熱は引かず痛みも治まらず、終に只耐える事さえ苦痛になって、ローは咆哮する。
「…ぃ、ゃ…ぁああっ!!」
しかしブラッドは、それを只眺めるだけ。もがき苦しむローを、只横で眺める。
十分も経っただろうか。漸くそれらが引いてきて、ローは荒く息をしながらブラッドを見上げた。
何をしたんですか、と掠れる声で訊くと、ブラッドは嬉しそうに微笑みながら、お前ならば耐えるだろうと思ったよ、とまずはそれだけ言った。
「今から、ロー…お前は私の眷属となったのだ。並の人間はその儀式にさえ耐え切れないが…思ったとおり、お前は発狂せずに耐え抜いてくれたからな。」
その言葉に、ローは真っ青になる。
死を覚悟していたのに、今更生かされるなんて、と。そしてブラッドが言った眷属の意味を思い出し、震える手を必死に動かして、歯に沿わせた。
予想通り、彼の歯の一部が鋭く尖っていた。ローの犬歯はそれほど尖ってはいなかったから、是は。
「僕、も…ヴァンパイア…に…?!」
「だからそうだと言っただろう?」
ふふ、と笑いながら、ブラッドはローを抱き上げる。先程の痛みや熱の所為で未だに動く事の出来ないローは、身体で抵抗する事が出来ずに簡単に持ち上げられてしまった。
口さえ上手く動かせられないが、けれどもこのままではいけないと、必死に講義する。
「ちょ…、何を…してるんですか…っ!」
「何を…?決まっているだろう、ローの部屋を用意してあげようと思ったから、何処が良いか見て回るのだよ…。」
其の身体では、もう満足に外を歩けないだろうから、とブラッドはしかし嬉しそうに言う。
予想外の答えに言葉を詰まらせて、ローはもう何も言えなくなってしまった。
ローの部屋と成った客室は、ヴァンパイアキャッスルの名に恥じない薄暗い場所だった。
今日からは此処で生活するのだ、とブラッドはそれだけ言い残して、ローをベッドに寝かせて立ち去ってしまった。
未だに満足に動けないローは、ゆっくりとベッドの中から辺りを見回す。
そして、高い天井を見ながら、何で自分はブラッドの眷族となってしまったのかを、改めて考えた。
決して、生きたいとは言っていないはずだ。死を覚悟していた。実際喉元に突きつけられた彼の得物も、突き付けた彼の殺気も、ローを殺す事だけを映していたのだ。
なのに何故、急に…。考えても其の答えは出てこない。
「…それよりも、今は是から如何するか、を考えた方が良さそうですね…。」
少なくとも、今までいた場所には戻れないだろう。眷属と言うからには、何かしらの制約も付いてくるだろうし、自分自身若しかしたら発狂するなり何なりで、自我をなくして魔物と化してしまうかもしれないのだから。
そう思うと、急に哀しくなってきた。ローは目に涙が溜まって行くのを感じ、腕をゆっくりと動かして目尻を擦った。
そうするともっと切なくなってきて、終に我慢出来ずにローは声を押し殺して泣き始めた。
「うあぁ…ああぁぁ…っ!!」
最後には耐え切れずに大声を上げて、独り泣き続けた。
泣きに泣いて、そうして高ぶった感情がだんだんと収まってきた頃、ブラッドが衣服を持って、静かに室内に入ってきた。
涙を拭う事すらせずに、ローは機械的に其方を向いた。きっと酷くぶっきらぼうだったのだろう、ブラッドは悲しそうに眉を寄せてベッドの縁に座った。
「気分は如何だ…?泣いて、少しは落ち着いたか?」
「ええ、お陰様で。」
それだけ言って、ローはブラッドと反対の方向を向いた。
今は彼の顔を見たくなかった。彼の綺麗な顔は、下手をすればこのヒトに仕えなければならない、と思い込んでしまいそうで怖かったのだ。
怒りさえも収まってしまいそうなほど、ブラッドは美しかったから、余計に顔を見れなかった。
それに、先程の行為に対する怒りもあるから、尚更。
ブラッドはしかし、そんなローの行動が気に入らなかったらしく、力任せにローの顔を自分の方へと向けさせた。
「ロー、お前は私の眷属。私に隷従する運命なのだ。…目を見ろ。」
「ふざけないで下さい!!」
身体を必死に起こしながら、ローは怒りに身を任せて、聞かぬ身体に鞭打ち力任せにブラッドを殴った。
満足に動けぬ身体を無理に動かしているのだから、力が其処に篭る筈も無い。ブラッドには傷ひとつ付かなかったが、それでもローはブラッドの胸をたたき続けた。
「僕が何時、生きたいなんて言いました?何時、眷属にしてくれと、時間を止めてくれと言いました?!勝手に死なない身体にして、それで隷属しろなんて、身勝手にも程があります…!!」
殺してくれたほうがマシだ、と最後に呟いて、ローは再び泣き出した。
ブラッドはそんなローを抱きしめて、背中を撫でながら落ち着かせようとした。唯一感じる事が出来る暖かさに縋るように、ローは何時しかブラッドの服を握り締めて泣き続けた。
そして、ブラッドは無言のまま、優しくローの背中を擦り続けていた。
見っとも無い所を見られた、と、再び冷静になったローは、それだけ呟いてそっぽを向く。
流石に顔をこちらに向けさせようとせず、ブラッドは先程持ってきた、自分の着なくなった衣服を衣装棚に直してから、ローの頭を撫でる。
「如何して…僕を眷属にしたんです。」
小さな声で、ローがブラッドに聞く。ブラッドは少し考えてから、其れに答えた。
「きっと、ローが死を受け入れていたからだろう。…肩を震わせていても、死ぬ事に対する恐怖心があまり感じられなかった。だから、裏を掻いて…生きさせて、その考えが果たして真実なのか…試してみたくなったのだよ。」
きっと、何かしたら泣き叫んで命乞いすると思ったんだが、と、ブラッドは続けた。
ローは暫く何も言わなかったが、不意にブラッドのほうを見つめて、それは間違っていたようですよ、と言った。
「僕は…きっと生きたかったんだと思いますよ。だって、今の今まで舌を噛み切るなり何なり出来たはずなのに、思いつかなかったんですから。」
だから、今回のも貴方の勝ちです、とローはそう言って笑った。
嫌味の無い、屈託の無い綺麗な笑みに、ブラッドは一瞬見惚れてしまう。
ドクン、と身体中に電撃でも走ったような、複雑な何かが駆け抜けていった。
そして、ゆっくりと右手をローの頬に沿わせて、今までと違う言葉を吐いてしまった。
「ローには、慕い想う者が居るのか?」
「いえ…?如何したんです、急に?」
眉を潜めながら、ローはブラッドを覗き込んだ。心配そうにしながら、その端に見える何かを決心した表情は、あの時きっと死を受け入れていただろう表情に酷似していて、更にどきりとしてしまった。
嗚呼、若しかして。ブラッドは先程の考えを改める。
(私は、きっと。)
「さて、ロー…。リディアがもう夕餉を用意しただろうから、食堂へ行こうじゃないか。」
ブラッドはそう言って、再びローを抱き上げようと腕を伸ばした。ローはしかし、其の腕を押さえて、少し気恥ずかしい様子で言った。
「…僕はもう歩けますよ。けど、まだふらつくので…抱き上げるのではなくて、手を引いてはくれませんか?」
それを聞いて、ブラッドは何も答えずにローの前に手を差し出す。彼は、その手の上に、躊躇いがちに自身の手を重ねた。
ゆっくりと、ベッドから降りる。途端にふらついて、ブラッドに抱きとめられるとローは顔を真っ赤にしてすみません、と謝罪した。
そんな彼の様子を、ブラッドは酷く愛しく感じてしまう。
(嗚呼、矢張り。)
――ローの事を、気にかけてしまっているのだろう。
ゆっくりとローを誘導しながら、ブラッドは其の手が何時か離れてしまう事に、少し切なさを感じていた。
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ブラッド×バッファロー、とのお題。
ローを使って消化致しました。
如何ですかブラザーE嬢、中途半端なモノが出来上がりましたorz
てーか自分設定満載で申し訳ないですあうあう;;
俺的な設定で、普段ローやレイや…プレイヤーが狩っているのはモンスターギルドが作り出した『幻影』に近いものだと思っております。
だからレベル設定やら何やらが出来ているのだと…。
まあ、妄想者のイッちゃった発言ですがね!
2006.2/10 脱稿。
↓因みに入れようと思って入れられなかった会話
「まあ、僕は最後に貴方の寝首掻く気でいますが。」
「…ローが如何こうした所で、私は簡単には死なないぞ?」
「気持ちの持ちようです。僕だってやられてばっかりと言う訳にはいきませんから。」
「…そうか。なら頑張って寝首を掻いてみるのだ。その時は私も力の限り抵抗しよう。」
「負けませんよ。」
「…しかし、そう言う事は心に秘めて置くものではないのか?言ってしまっては掻く事も容易には成らないだろう?」
「…あ。」
抜けてるのは俺の性格上仕方が無い事で。