お前達は、許してくれるだろうか。
――出来るなら、許さないでくれ。
>>>>> リユウ
考えていたよりも、この土地は暖かかった。カントー・ジョウトに比べてシンオウはもう少し寒いだろうかと思っていたが、是なら持ってきたコートは只のお荷物だったか。
アマテルは浮かぶ雲の形がゆっくりと変わって流れるのを目の端に、知り合いの家へと歩いて行く。途中鳥ポケモンのさえずりが聞こえて、心なしか気分が華やいだ。
きっと此処なら気に入るだろう、と思う。彼らは戦うのも好きだが、ゆっくりとした時間を生きるのも好きな様子だったからだ。
特に今から会いに行く少年は非常に温厚で、あまり無茶な戦いはしない気がした。ならば、必要以上に傷つく事も無いだろう。其れに、彼なら。
「きっと、頷いてくれる。」
其れは予想と言うよりも寧ろ確信で、だからこそアマテルは此処に居る。卑怯かも知れないが、この方法以外で事を解決する事なんて出来ないだろう。
一歩踏み出せば道に生えた草が、足の下でくしゃりと音を立てる。この音はきっと、今から行おうとしている事に対する警告であり、実行した際に訪れる物の音なのだろう。柔い音を立てて崩れ落ちる……。
怖い、だとか、悲しい、だとか言う感情は、この考えを思いついた時点で感じている。勿論、今も感じはするが、其れ以上に決心が今アマテルを突き動かす。
せめて憎しんでくれれば良いと思った。其れが糧となるならば、喜んで憎悪の炎に身を置こうと。
其れほどまでに、愛しているのだ。
トマリは珍客に驚いて、手にしていたヒコザルぬいぐるみをぽろりと落とした。
まさか自宅にこの人が来るなんて、と思いつつ、同時に家に来てくれるほどに自分の事を認めてくれている、と思うと自然に笑みが零れた。
「アマテルさん、来るなら来るって言ってくれなきゃお茶の用意も出来ないですー!」
「別に構わない。俺はそこまで長居する気も無い。」
「でも、お茶出すのはしなきゃいけないです!」
屈託無く笑いながら、トマリはヒコザルぬいぐるみをテーブルに座らせてぱたぱたと台所へと駆けて行ってしまう。
別に良い、と言っているのに聞く耳を持たずに玄米茶の缶に手をかける彼の背中を眺めながら、アマテルはさて如何したものかとこれからの事を考える。既にやかんに火を掛けて、嬉々として急須に茶葉を入れている彼に、今更止めろとも言えないので、話は此処でしなければならないだろう。何だかトマリのペースに引きずり込まれた気がするが、もう遅い。
幸いにもアヤコは家に居らず、事実上この空間にはアマテルとトマリしか居ない。勿論手持ちのポケモンは省いて、だ。是なら此処で今回の用事を切り出しても大丈夫だろうとは思う。が、矢張り人目をはばかる内容であるだけに、落ち着かない。
本当はアヤコにトマリの今の居場所を聞くつもりだったのに、家に行けば彼がいそいそとリビングの内装を変えている場面だったので、探す手間が省けたと言えば手間は省けている。だが素直に喜べないのは、こんな『彼の領域』でこの話を進めても良いものか、とも思う訳で。
「もうちょっと待って下さいですー。」
そう言う彼が戻ってくるまでの時間が、酷く長く感じて落ち着かない。やっと席についても彼は急須にみなぎるお湯に色が出るのを気にするだろうから、待ち時間はもっと長くなる。
是は試練か。決断が揺らぐようなら出直せって言う試練だろうか。
先程トマリが座らせたヒコザルぬいぐるみを右手で弄びつつ、アマテルは小さく溜息をついた。
最初は他愛無い会話で濁しながら、暫く心を落ち着かせる。
トマリはそんなアマテルを見ながら、何時もと違う何かを感じていた。酷く焦っているような、酷く戸惑っているような。
よくは言い表せないが、胸中にモヤモヤした霧でも掛かっているような、歯切れの悪さを言葉の端々に感じた。
だから、如何してもそんな感情を振り払ってあげたいと思って、切欠を作る為の言葉を零す。
其れがお節介でも、何時も凛としたアマテルを見ている分、今の状態はほっておけなかったのだ。
「アマテルさん、ボクに何か言う事、ある……ですよね?」
言った瞬間ピクリと反応を返した所を見ても、彼は如何やら隠し事をしているらしい。
二、三度ほど目を瞬かせてから、アマテルは急に苦笑して、何で、と、言った言葉に対して疑問を投げかけた。まだ、隠し事を話せはしない、なんてオーラを少々感じながら、其れでもトマリはその領域に足を踏み入れる。
アマテルはきっと、気付いて踏み込まなければ話さない人間なのだ、と、感じたからだ。
「だって、とってもモヤモヤした顔してるです。其れに、ボクの言葉に反応したです。其れで、証拠は十分です。」
「…君は、つくづく気持ちに敏感だな。嗚呼、確かに言う事はある。」
自嘲気味に言って、アマテルは腰に付けた六つのボールを机に並べた。それぞれに彼と共に戦ってきた戦友達が眠っている。
嫌な予感が背筋を寒くしていくのを感じつつ、トマリは其れでも気付かないかのような表情でアマテルを見つめた。
哂ったまま、アマテルは戦友たちを指し示し何でも無いように言葉を落とした。それは、トマリが感じて、恐れた言葉。
「こいつ等を、君に引き取ってもらいたいんだ、トマリ。」
淡々と、事務的に。
戦友を自身から切り離す言葉を。
「な、んで…です?」
「色々と事情があってな、…トマリ、頼む。」
トマリが酷く焦がれた英雄は。
「事情、話すのは、…無理、です?」
何時も凛として、堂々として、戦友達を愛する姿を“羨ましい”と焦がれた自分の英雄が。
泣きながら哂って、吐いた。
「まさか俺が病気なんて患うとは思ってなかったけどな。」
だって健康だけが取り得の馬鹿なのだから、と哂って、トマリの英雄は言葉を吐く。
出来るなら、耳を塞ぎたい言葉ばかりが彼の口から吐き出されて、トマリは一瞬カレンダーを眺めてしまった。
御願いだから今日は嘘をつく日であって下さい。願っても、今日は何も無い一日である事など判りきっていると言うのに。
そんなトマリを見つめながら、アマテルはまだ言葉を吐き出す。
何で、今更になって病気が発覚したのか。
それが、何年掛かれば完治出来るものなのか。
其れまでの間、戦友を如何するか悩んだ事も。
最終的に、トマリに総てを受け取って貰いたいと思った事も。
全部、吐き出した。
「如何して、ボク…なんです?ボク、全然、バトル…得意じゃないですし、皆引き取れても、アマテルさん…みたいに可愛がる事、出来ないかもなのに、です…!」
「別に君に総てを望んでいる訳じゃないんだ。」
只、君なら判ってくれると思ったからだ、と。
笑って言い切ったアマテルの頬には、先ほど流れ伝った涙の後が残っていて。トマリは泣きそうになる。
アマテルが吐いた病名は、確かに完治出来るけれど時間がかかる事で有名なもので、トマリでさえ知っていた名前だった。
彼が悩みに悩んで出した結論だと痛いほどに判る。けれど、だからこそ、この戦友達は彼の元に居た方が良いのではないだろうか。
何より、シンオウの通信システム上、本土から送られてきたポケモンは本土に送り返す事が出来ない。
きっとアマテルのポケモン達は本土に所持登録されているものだろうから、例え此処で交換したところで書類を誤魔化す事も出来ないだろう。
其れはつまり、アマテルとこの戦友達が永遠に近い形で離れ離れになると言う事で。
其れはつまり、アマテルの重責が自分にかかると言う事で。
「絶えられ…ません、です。ボクには、無理…です!」
トマリは叫んだ。泣いた。
きっと瞑った目を開ければ、呆れた顔をしたアマテルがいるんだろうと思っても、それだけは出来ないと思った。
トマリにとって、アマテルは総ての模範なのだ。戦い方も、戦略も、立ち振る舞いも、ポケモンへの愛情も、総てがトマリにとって格好よく尊敬出来る人間が、アマテルなのだ。
だから、アマテルが自分を訪ねてきてくれた事が酷く嬉しくて、こうやって頼ってくれる事も嬉しいけれど。
アマテルから、彼のポケモンを譲り受けるなんて恐れ多くて、彼がもう戦友たちに会えない事実が怖くて嫌で、頼みを拒む事しか出来ない。拒んで嫌われても、「アマテル」のポケモンが消える事実が何よりも嫌なのだ。
彼と戦友は親身一体で無ければならない気がするから。それが、トマリの尊敬するアマテルだから。
だから、トマリは首を横に振る。泣き叫んで、拒絶する。
「トマリ、俺はエンリュウ達を飼い殺したくないんだ、頼む…!」
「嫌です嫌です嫌ですッ!アマテルさんはアマテルさんじゃなくちゃ嫌なんですッ!!」
「――トマリッ!!」
怒号に、トマリの動きはビクリと止まった。
見ればアマテルは再び泣いていて、其れは不甲斐無い自分に対するものなのか、こんな事になった責任を感じた為なのか、離れる事が怖くて泣いたのか、トマリには判断が出来なかった。
「俺だって、俺だって好きで離れるんじゃない!でも、このまま連れ歩いたところでエンリュウ達を飼い殺す事になる!それだけは……それだけは、嫌なんだ…っ!」
金持ちのペットのように、只生かされて自由も何も無い生活なんて、こいつらに送ってほしくないんだ。泣いている所為で濁った声を震わせながら、アマテルはトマリの肩を掴んで、歯の間から搾り出すように言った。
其れは如何聞いたって本心で、やっぱりアマテルはアマテルなのだとトマリに思わせるだけの力があった。でも、嫌なものは嫌だ、とトマリは思う。自分勝手な事だけれど、アマテルには「アマテル」として振舞っていて欲しかった。
強くて、格好よくて、凛として。馬鹿な事をしてしまった時に、怒ってくれる彼のままで居て欲しかった。
「何で、シンオウ…何です?ホウエンなら、帰ってきた時、また、会えるです…!」
トマリは、ホウエンに住む少年の顔を思い浮かべて言った。彼とトマリとアマテルは友達だったし、シンオウと違ってホウエンは本土により近い分、ポケモンを送り返せないなんて事が無い。
そう言いたいのが判ったのだろう、アマテルは首を振って、だからだ、と言った。
「自分の責任で離れたのに、どんな顔をして会えると言うんだ?俺には無理な話だ。」
決意が、違った。トマリは此処で漸く、アマテルの強い心を知る事になる。
逃がさなかったのは、野生化しても酷く懐いた彼らが再び擦り寄ってくるのを恐れたからだ。それに、一度手懐けられると野生としてはやっていけない、と聞いた事もあった。一々指示を仰ぐ癖が残って、その隙をつかれて倒されるからだと言う。それに、ポケモンセンターで丁寧に回復してもらっていたお陰で、野生化しても傷の治りが遅くなってしまっているのだとも。
自分のところに来たのは、もう二度と彼らに顔を見せる事の無いようにする為だろう。元々本土とシンオウはかなり離れているし、トマリにもトマリのポケモンが居るから、偶々すれ違った時に顔を見る事も無い、と判断したのだろう。
それは博士のところに預けっぱなしになると言う事でもあるが、アマテルよりもトマリの方がまだ時々連れて歩く可能性が高いのは事実だ。
考えて、考え抜いて、出した結論の奥に見える愛情が、重たくて。
でも、それでも、それを背負ってくれると思って、トマリを選んだのだろう。そう知ってしまうと、もう駄々をこねる事も出来ない。
涙を拭いながら、トマリも、決意する。
本当は嫌だけれど、もう、知ってしまった故に。
「本当は嫌です。アマテルさんを神聖視するのはボクの勝手だし、それが消えそうだからって駄々をこねるのはいけない事だって判ってるです。でも、アマテルさんはボクの英雄なんです。だから、本当はその英雄像を壊したくないです。」
でも、ボクも決意しました、とトマリは吐いた。ぽつりと。
アマテルに、蒼灰の眼を向けて。トマリは、今度こそはっきりと、自分の意思を告げる。
「ボクで良いのなら、アマテルさんの戦友を引き取らせてもらいます、…です。」
アマテルの碧緑が、嬉しいような、悲しいような、複雑な色を混ぜ合わせながら微笑んだ。
シンオウは暖かだったが、流石に日が落ちれば肌寒く感じる。アマテルは持ってきたコートを羽織ながら外に出て、何時もの癖で腰に手をやり、するりと手が下に落ちる事に苦笑した。
離れて、やり直す事が出来るのかと言われれば、今の段階ではNOだろう。自分は余りにも彼らに依存してしまっているようだから。先ほどの行為も既に四回目だった。
是が一番望ましい事だと思っては居ない。勝手な言い分で勝手に置いてきてしまっただけなのだから、彼らは酷く怒っているだろうと思った。
「なあ、親父、イノリ……俺は、置いていかれる事の悔しさとか、判ってるつもりだったのにな。」
首から提げた“イノリ”の牙を触りながら、アマテルは呟く。
旅に出たまま消えた父親は、相棒だったリザードンの牙だけを遺留品として送ってきた。その時の事を思い出すと、今も悔しさが腹から胸を駆け回った。
もしも、俺が親父と一緒に旅に出ていたら。決して出来る事の無い行為を悔やみながら、今もこうやって最後の手がかりを弄んでいる。もしかしたら、エンリュウたちもこんな事を考えているのだろうか、と思うと胸が痛んだが、其れ以上に自己管理の至らなかった自分が彼らに如何こう出来る筈も無いと自分を罵り、思い直す。
最善ではないけど、是が一番良い策。思い込んで、アマテルは青白い空を見上げた。
「――ッ?!」
ぐらり。
心臓が一段と跳ねた。胸元が酷く痛む。眩暈が酷くなって、手すりに縋りつけもしない。
大きな音と共に、アマテルの体が床に叩きつけられる。左側から倒れこんだようで、左肩が異常な痛みを訴えた。
同時に、何かが込み上げて、大きく咳き込んで其れを吐き出す。
目の前に、赤が広がる。是が自分の吐いた物か、とまるで他人事のように思いながら、アマテルはふと其の端に光る白に目をやった。
「イ、ノリ、の……!」
焦って手を伸ばす。届かない。
もう一度、伸ばして、 駄目だ、 届か ない。
ダメ、 あ …れは、 親父… の、… の 、 大切 な 。
最後に手を伸ばして、指先に懐かしい感触を感じたのと同時に、アマテルの意識はそこで途絶えた。
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ダイパに持ってくると、戻せないじゃないですか。
悩んだ末に、「理由」付けたら持って来れなくないかな、と言う考えに至ったので、その理由を小説に。
続きがあるようで、続かない訳ですが(続き自体はあるけれども書けるかどうかが判らない)。
不思議な感覚の小説が書きたいこの頃です。
2006.11/19 脱稿。